万葉の花とみどり
万葉探訪記  甘樫丘
甘樫丘
 標高148mの丘、中腹に蘇我蝦夷、入鹿親子が邸宅を構えていた。頂上からは、大和三山と飛鳥川など古代史の舞台を360度展望でき、権力の絶頂にあった蘇我氏が本拠地を置いた理由がわかる。邸宅は、乙支変の直後に自害した蝦夷とともに焼失したが、その際残念なことに聖徳太子や蘇我馬子らが編纂した国史も失われてしまった。それ以前の歴史がぼんやりとしたものとして知り得ないのはそのためである。
 丘の歩道には万葉植物の道なるものがあり、万葉に詠まれた植物が道なりに植栽されていた。案内として、万葉歌とともに「この木は何の木」というようなコーナーが十数カ所確認できた。しかし、残念なことに、やはりここでも「ムラサキ草」を見ることはできなかった。丘のふもとの売店のおばあさん曰く「昔はいろいろ植わっていたんだがね。公園になってからは、若い役人どもが、どこからか持ってきて植えたり、切りよったり引っこ抜いたり・・・あれらは何も知らんでなあ」。
蘇我入鹿首塚から甘樫丘を展望:首塚は飛鳥寺の西側150mに位置する。入鹿殺害に成功した中兄皇子らは、すぐさまこの手前の飛鳥寺に集結、ここから蘇我邸宅邸宅のある甘樫を睨んだに違いない。
北側を展望
東側を展望
南側を展望

他の万葉探訪記へ
TOPページ→ 大伴妬持