万葉の花とみどり
【土屋文明の作品『万葉紀行 蒲生野』(1983筑摩書房)より引用】
・・・私は金曜日の夜行車で東京を出発し、早朝近江八幡から蒲生野行きの電車に乗った。・・・私たちは昔のままに紫草の一本ぐらいは探しあて得るかという希望もあって歩いて・・・行ったらにめぐりあうかという希望を抱いたのである。・・・私はその後、紫草について少しく心がけたのであるが、紫草の生育地は火山系地質の所がよいらしく、現今の自生地も、多くそうした地質の腐蝕土などのたまった所のように思われてきた。「紫野行き」の紫野は紫草栽培地であろうという武田博士の説は、あの歌を解するにはきわめて都合のよい説であるが、栽培については、なお疑問がかけられないでもないように思われてきた。第一、万葉人の紫草というものは、従来の説のごとく、紫草の花にまで注意しての感動であろうか。万葉集中、紫草の生態にまで及んだと思われるのは・・・私は大和伏見村の友人の庭に本年春、岩手産の一株を植えた。土を掘ったときひどい粘土だ、これでは生育は不可能かと思ったが、別に試験的の気持もなかったので、私は私の園芸力を総動員して工夫を凝らし排水を考えて植えた。そのためか否か知らないが、友人の報告によると、うまく成長して花も咲き実をも結んだとのことである。(しかしその後の報告に よると、これは根も種子も一年で絶滅した。)・・・紫草は多湿にはひどく弱いこと、その形体からしても知られるが、私は自身栽培のものが、今年の多雨で腐りゆくようすを目のあたりに見てつくづくと考えた次第である。・・・蒲生野のものは採集にあい絶滅したのであろうか。その余類がわずかに綿向山にのこっているのであろうか。はじめから生育しなかったものであろうか。疑問というほかない。以上は自生についてのことであるが、・・・私は上古あれほど珍重された紫草の栽培について、当時の人がしかく無知であったとは思われない。現今の技術では紫草栽培は、その色素含有量が野生にひどく劣るため、経済的に成立せず・・・本年(昭和 十六年)も六月二十二日ごろには、私の狭い庭の紫草はまだ雨にも腐らず、ぐあいよくその清浄無垢なる白花をつづっていたのであるが、蒲生野の方へ出向く機会はなかった。この問題はなお根気よく蒲生野を踏査することによって解決されようか、それとも文献の中に鍵がひそめられているのであろうか。(昭和 17年1月、短歌研究第11巻第1号)
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