万葉の花とみどり:紫草(むらさき)と万葉の花展6/13-14
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むらさき 紫草 牟良佐伎 武良前 ムラサキ
あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る
額田王 巻一 20 
『読 み』あかねさすむらさきのいきしめのいき のもりはみずやきみがそでふる
『歌 意』紫草の生えているこのご料地で、あちらへこちらへと行き来して・・・。野の番人に見られはしないでしょうか、あなたが私に袖を振っているところを。
栽培は至難 幻の野草
 歌は、額田王が、天智天皇のご料地(近江の蒲生野)での薬狩りの折り、かつての恋人大海人皇子(後の天武天皇)にあてて詠んだ万葉集第一期の代表歌。続く大海人皇子の返歌とともに万葉集の象徴ともいうべき有名な歌である。このやりとりは、中世以降も様々な分野に引用され、現代においてなおほとんどの国語教科書に掲載されるほどである。歌は、生薬や染料を得るために栽培されていた紫草を題材にしたものだが、次の大海人の歌にも、やはり「紫草のにほへる妹」という形で詠み込まれ、紫草が愛の相聞のモチーフとなっていることがわかる。

 紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
                           大海人皇子 巻一 21 

 紫草は、生薬や染料となるため、貴重な植物として大切にされてきたようだ。歌に天皇のご料地として標(しめ)野とあるのは、注連縄(しめなわ)に通じ、一般の侵入を禁じた地域であることを示している。薬狩りとは、紫草の白い花を見つけると、馬上から矢を射ってそれを人に取りに行かせるという娯楽だったらしい。鹿狩りの植物版というところだが、古代の王朝ではこのような何とも風雅な行事が行われていたものだ。狩りの対象となっていたその植物こそが紫草であり、先の歌が誕生する舞台となったのが、紫草が群生するご料地だったというわけだ。
 染料の素材としての紫草だが、平安時代の事務提要『延喜式』には、武蔵、信濃、常陸などから紫根を朝廷に運ばせたとある。平安時代には内染司なる専門職が置かれ、染料の採取量の安定策が図られており、その後江戸時代末期まで日本各地で栽培が継続されてきた。しかし、19世紀中ば、イギリスのパーキンによる化学染料の登場により、産業的な価値を失い、少なくとも人力による栽培は皆無に近い状態になってしまった。野生の方も、スギや雑木林、農業用地の開発や帰化植物の勢いに押されて、ついには、絶滅危惧種レッドデーターブックTBにランクされるに至っている。各地で保存の試みがなされているものの、自生地はほぼ壊滅、幻の野草と呼ばれるようになっている。

ファイルサイズの大きい画像へ 栽培はすこぶる難しく、種が入手できたとしても株を増やしていくのは至難の業。秋に出来た種が自然にこぼれ落ちてそのまま発芽、越冬するというのが理想だが、採取した種を翌春に蒔く場合は、適当な湿り気と低温下で神経質に保存しなければならない。発芽率そのものが低く(数%程度かそれ以下?)、ウイルスや食害にも遭いやすい。かといって、下手に消毒すると枯死したり、日の当たり方や栄養は少なくても過ぎてもだめ。土壌は水はけが悪ければ、まず確実に根腐れを起こすが、温度が高くなっても逆に水切れを起こしやすい。おまけにその寿命は、個体による成長の差もあるが、長くて4年という。栽培の困難さは群を抜くものだ。
 
現在の自生地には石灰系の砂質が多いのでそういった荒れ地を好むという説もある一方、たまたま他の雑草との競争がない自生地が残ったという考え方もある。大昔から伝わる栽培法も、時代、地方によってその手法がまちまちで、よくわからいのが実態。著名な染織家や栽培マニアですら、数十株をいっぺんに枯らして、紫草はもうこりごりなどという話が少なくない。噂が噂を呼び、ほとんど伝説的な植としての扱いを受けている植物である。植物研究者である大滝末男もその著書『ムラサキの栽培と観察』の中で、「多くの人が種や株を入手しても2年以上栽培を続け、繁殖に成功した人は皆無に近い・・・」と言い切っている。

 → 画像:国産ムラサキ:種から育てた1年もの。紫染料のイメージから、白花と知って意外に思う人も多いとか。国内の自生地はほぼ壊滅、絶滅危惧種TB類に指定され、幻の野草となっている。


ムラサキの種:青白い陶器のような雰囲気、表面は硬く発芽率はかなり低い。朝の気温が10℃を超える日が数日続くと発芽する。食害、排水注意。自生種があったとしても、このように日陰でひっそり咲いているのだろう。国産種は葉でも容易に区別可能:幅が太く、葉脈の溝が深い。

古代王朝の色の染料として
 紫色は時代、洋の東西を問わず高貴な色として珍重されてきたが、特に権力を象徴する色であった点において特異な存在であったということができる。紫色を重んじる傾向は、聖徳太子の制定した冠位十二階の最上位は紫(深紫:こきむらさき)に始まり、藤原氏の平安の世には紫式部の女流文学のテーマとして形を成し、戦国武将の豊臣秀吉、徳川時代の江戸紫にまで引き継がれることになる。外国でもやはり、古代中国やローマ時代には皇帝以外の者が身につけてはならない禁色とされていたし、かのエジプト女王クレオパトラに至っては、あまりに紫を愛好し過ぎて、軍船の帆をすべて貝紫で染め、外国船を圧倒したというとんでもない史実も残されているほど。
 紫染料が大切にされてきた理由の第一は、その希少性にあり、そのことは先の引用歌に大王(天皇)の占有地に紐で侵入できないように標野(しめの)とされていたことからもわかる。万葉時代にはムラサキ草はそこいらに群生していたかのような説を唱える向きもあるが、やはり当時から希少種で栽培が困難であったに違いない。
 ちなみに、遠き地中海沿岸のローマやエジプトでは紫草ではなく、貝のパープル腺から得た、いわゆる貝紫(※)による紫染色が行われていた。先のクレオパトラの帆船のエピソードですが、1グラムの紫染料を得るために、貝(イボニシ貝の仲間)が数千個(?)も必要になるとされ、古代においては、一定量の布を紫で染める事自体がとてつもなく贅沢なことだったのだ。

我が国初の女性理学博士が色素の構造を解明
 ムラサキ草(紫草=Lithospermum erythororhizon Sieb. et Zcc.)は古くから外傷,腫瘍,火傷,湿疹等に処方されてきたが、シコニン(Shikonin)という興味深い生理活性成分を含んでいる。シコニンは紫色を呈し、ムラサキ草が「紫」言われる所以はこの色素を含むからに他ならない。実際には、根には、アセチル誘導体(acetylshikonin R= OCOCH3 or OCO(CH3)2)数種が含まれているようだ。このシコニン分子は、金属イオンと結合により呈色、水に不溶で繊維に固着しやすくなる性質があり、これが媒染−染色に利用される。
 この色素シコニンの名は紫根からきているのだが、これは我が国初の女性理学博士である
黒田チカ先生(※)が大正7年(1918年)「紫根の色素に就いて」の論文の中で成分の構造の解明を行い、命名されたもの。なお、古来より紫で染色された布は肺病を遠ざけると信じられ、皇室では今でも体調を崩されると紫染めの物を身につける習慣がおありとか。ところが何と、最近になって、シコニンに抗HIV活性作用があることが確認され、免疫低下による細菌感染を抑制する研究が注目されている。紫の効能についての言い伝えは、あながち否定できないということである。
(※)黒田チカ先生はやはり万葉植物のベニバナの色素カルタミンの研究でも大きな業績を残されている。
 下画像は、紫根による紫染めの実践。


紫根を砕いて木綿に包んで70℃のお湯で色素を絞り出す。染め作業:媒染剤にはツバキの灰が使われた草木染めでこの色と風合いを出せるのはこの「紫根染め」しかない。古代より最高位の色と言われてきた理由が実感できる。絹ハンカチーフを4箇所結び、絞り染めにした:色濃くするには重ね染めが必要だが、工夫によりいろいろな表現が可能になる。

媒染剤としてのツバキ
 実験で行った媒染は、植物色素がアルミニウムイオンや鉄イオン等の金属イオンを結びついて、木綿や紙の繊維に発色定着する効果をあげるための作業。手軽な媒染剤として、酢酸アルミニウムを使えるが、古くは、アルミニウムイオンを多く含む植物が使われていた。植物の媒染剤を特に灰汁(あく)といい、古くからヤブツバキを始めとしてヒサカキ、サワフタギ、藁灰、鳥梅(うばい:梅をいぶしたもの)が有用な灰汁とされてきた。→ツバキ
 ツバキによる媒染作業の歴史は古く、万葉歌にも紫染色にツバキの灰が使われたことが詠みこまれている。次の歌にある海石榴市(つばいち)とは古代都市の名だが、「つば」と染色に使う「ツバキ」をかけ、紫色がツバキの灰によって鮮やかに染まるということを意味している。
 紫は灰指すものそ海石榴市の 八十のちまたに逢へる児や誰
                         作者不詳 巻十二 3101 
<(工事中)ムラサキを詠んだ歌>…万葉集中17首
 託馬野に生ふる紫草衣に染め いまだ着ずして色に出にけり
                         笠女郎 巻三 395
 韓人の衣染むといふ紫の 心に染みて思ほゆるかも
                         麻田陽春 巻四 569
 万葉集を象徴する花「紫草(ムラサキ)」の保存活動のページ
 紫草についての総合情報ページ→紫草(むらさき)データベース
紫草(むらさき)で郷土愛を育む:エッセイ by 大伴妬持

管理者『妬持』の声

 万葉集を題材にした場合、やはりこのムラサキだけはどうしても特別な扱いにならざるを得ないですね。もともと、紫染色がこの万葉サイト立ち上げのきっかけだったもということもあり、トップの額田王の歌自体が万葉集のカオみたいなものですからね。ページ訪問者の方々でも、このムラサキに対する関心が最も高いようです。花と染料の美しさ、希少さ、栽培の困難さなど、様々な魅力を持っているからでしょう。
「参 考」
・日本の色辞典(吉岡幸雄 紫紅社)
・草木染技法全書(山崎青樹 美術出版社)
・万葉植物事典(山田卓三 中嶋信太郎:北隆館)
・ムラサキの観察と栽培(大滝末男 ニューサイエンス社)
・ムラサキ栽培記録の投稿記事「ひよきちのムラサキ日記」
 管理者:大伴妬持
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