万葉の花とみどり
むらさき 紫草 牟良佐伎 武良前 ムラサキ
あかねさす紫野行き標野行き
    
野守は見ずや君が袖振る

                       額田王 巻一 20
『読 み』あかねさすむらさきのいきしめのいき のもりはみずやきみがそでふる
『歌 意』紫草の生えているこのご料地で、あちらへこちらへと行き来して・・・。野の番人に見られはしないでしょうか、あなたが私に袖を振っているところを。



歌のモチーフに
 歌は、額田王が、天智天皇のご料地(近江の蒲生野)での薬狩りの折り、かつての恋人大海人皇子(後の天武天皇)にあてて詠んだものです。続く大海人皇子の返歌とともに、万葉集の象徴ともいうべき有名な歌です。このやりとりは、中世以降も様々な文学作品に登場し、現代においてもなおほとんどの国語教科書に掲載されるほどです。額田王は、紫草を紫野として詠み込んでいますが、次の大海人の歌では、「紫草のにほへる妹」という形で詠まれ、紫草が愛の相聞のモチーフとなっていることがわかります。

 紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも

                           大海人皇子 巻一 21

 紫草は、生薬や染料となるため、貴重な植物として大切にされてきた植物です。歌に天皇のご料地として標(しめ)野とあるのは、注連縄(しめなわ)の意に通じ、一般の侵入を禁じた地域であることを示しています。薬狩りとは、紫草の白い花を見つけると、馬上から矢を射ってそれを人に取りに行かせるという娯楽だったそうです。後の鹿狩りの植物版というところですが、古代の王朝ではこのような何とも風雅な行事が行われていたものです。狩りの対象となっていたその植物こそが紫草で、先の歌が誕生する舞台となったのが、紫草が群生するご料地だったというわけです。

幻の野草
 染料の素材としての紫草ですが、平安時代の事務提要『延喜式』には、武蔵、信濃、常陸などから紫根を朝廷に運ばせたとあります。平安時代には内染司なる専門職が置かれ染料の採取量の安定策が図られていて、その後江戸時代末期まで日本各地で栽培が継続されてきました。しかし、19世紀中ば、イギリスのパーキンによる化学染料の登場によって産業的な価値を失い、少なくとも人力による栽培は皆無に近い状態になってしまいました。野生の方も、スギや雑木林、農業用地の開発や帰化植物の勢いに押されて、ついには、絶滅危惧種レッドデーターブックTBにランクされるに至っているのです。各地で保存の試みがなされているものの、自生地はほぼ壊滅、幻の野草と呼ばれるようになっています。
栽培は大変に難しく、仮に種が入手できたとしても株を増やしていくのは至難の業の、ほとんど伝説的な植物としての扱いを受けています。

古代王朝の色の染料として
 紫色は時代、洋の東西を問わず高貴な色として珍重されてきました。それは、紫色が、自然界において染料や顔料として得難いものであったからに他なりません。金やダイヤモンドと同様、その希少性が、政治や文化とも結びつきやすく、特に権力を象徴する色であった点において特異な存在であったということができます。紫色を重んじる傾向は、聖徳太子の制定した冠位十二階の最上位は紫(深紫:こきむらさき)に始まり、藤原氏の平安の世には紫式部の女流文学の中核を成し、戦国武将の豊臣秀吉、徳川時代の江戸紫にまで引き継がれることになります。外国においても、古代中国やローマ時代には皇帝以外の者が身につけてはならない禁色とされていた時期がありますし、かのエジプト女王クレオパトラは、あまりに紫を愛好し過ぎて、軍船の帆をすべて貝紫(※)で染め、外国船を圧倒したというとんでもない史実も残されています。紫草の希少性は、先の引用歌に大王(天皇)の紫草の栽培地が、侵入できないように標野(しめの)とされて厳重に保護されていたことからもわかります。近世まで、そこいらに群生していたかのような説を唱える向きもありますが、やはり当時から希少種で栽培が困難であったに違いありません。(※)地中海沿岸のローマやエジプトでは紫草ではなく、貝のパープル腺から得らてる、貝紫染料による染色が行われていました。1gの紫染料を得るために、イボニシ貝の仲間が数千個も必要であったとされています。)


わが国初の女性理学博士が色素の構造を解明
 紫草(Lithospermum erythororhizon Sieb. et Zcc.)は、古くから外傷,腫瘍,火傷,湿疹等に処方されてきた薬草で、シコニン(Shikonin)という興味深い生理活性成分を含んでいます。シコニンは紫色を呈し、紫草が音で「むらさき」と呼ばれる所以はこの色素を含むからに他なりません。実際には、その根にアセチル誘導体(acetylshikonin R= OCOCH3 or OCO(CH3)2)数種が含まれ、金属イオンと結合により呈色、水に不溶で繊維に固着しやすくなる性質があり、これが染色〜媒染に用いられているのです。この色素シコニンの名は、紫根(しこん)からきているのですが、これはわが国初の女性理学博士である黒田チカ先生(※)が大正7年(1918年)「紫根の色素に就いて」の論文の中で成分の構造の解明を行い、命名されたものです。なお、古来より紫で染色された布は肺病を遠ざけると信じられ、高貴な家柄の方々の間では今でも体調を崩されると紫染めの物を身につける習慣がおありとか。ところが何と、最近になって、シコニンに抗HIV活性作用があることが確認され、免疫低下による細菌感染を抑制する研究が注目されています。紫の効能についての言い伝えは、あながち否定できないということなのでしょう。(※)黒田チカ先生はやはり万葉植物のベニバナの色素カルタミンの研究でも大きな業績を残されています。

媒染剤としてのツバキ
 染色での媒染という操作は、植物色素がアルミニウムイオンや鉄イオン等の金属イオンを結びついて、木綿や紙の繊維に発色定着する効果をあげるための作業です。手軽な媒染剤として、いまでもミョウバンや酢酸アルミニウムが使用されていますが、古くは、植物から金属イオンを得ていました。植物由来の媒染剤を特に灰汁(あく)と呼び、紫色の媒染には、ヤブツバキを始めとしてヒサカキ、サワフタギ、藁灰、鳥梅(うばい:梅をいぶしたもの)が用いられてきました。特に、ツバキによる媒染作業の歴史は古く、万葉歌にも紫染色にツバキの灰が使われたことが詠みこまれています。次の歌にある海石榴市(つばいち)とは実在した古代都市の名称で、「つば」と染色に使う「ツバキ」をかけ、紫色がツバキの灰によって鮮やかに染まるということを意味しています。

 紫は灰指すものそ海石榴市の 八十のちまたに逢へる児や誰
                      作者不詳 巻十二 3101


(工事中)ムラサキを詠んだ歌>…万葉集中17首
 託馬野に生ふる紫草衣に染め いまだ着ずして色に出にけり
                    笠女郎 巻三 395
 韓人の衣染むといふ紫の 心に染みて思ほゆるかも
                    麻田陽春 巻四 569


管理者『妬持』の声
 万葉植物の中で、この紫草は特別な扱いにならざるを得ません。もともと、紫染色がこの万葉サイト立ち上げのきっかけだったもということもあり、トップの額田王の歌自体が万葉集のカオみたいなものですからね。WEB訪問者の方々でも、このムラサキに対する関心が最も高いようです。花と染料の美しさ、希少さ、栽培の困難さなど、様々な魅力を持っているからに他なりません。


youtube動画:紫草(むらさき)の動画
紫草(むらさき)と万葉の花展 万葉紫染め(紫草の紫根)作品集万葉を象徴する植物「紫草」の保存活動のページ紫草(むらさき)データベース
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