紫草(むらさき)と万葉の花展:実施します

万葉集を象徴する植物「紫草(むらさき)」の保存活動

豊かな自然を象徴する希少種「紫草(むらさき)
 
紫草(むらさき)は、その根(紫根)に特殊な有効色素成分を含むことから、古代より染料や薬用として大切にされてきました。また、飛鳥・奈良時代の万葉集に始まり、平安時代の枕草子や源氏物語を経て近代の宮沢賢治に至るまで、数多くの文学作品に『日本の伝統文化を象徴する植物』として扱われてきました。しかし、もともと自生地が限られてきた上に、近年の環境破壊や帰化植物の威勢に押され、ついに絶滅危惧種TB(※1)に指定されるに至ってしまいました。草原から姿を消したことで、紫草の存在そのものを知る人がほとんどいないというのが現状です。
 ところで、ここ小川町は、鎌倉時代の学問僧「仙覚(せんがく)」(※2)が、万葉集の全体像を今に伝える業績を成し遂げた地です。万葉集の歌と言えば、特にこの紫草が詠み込まれた歌(額田王と大海人皇子の作品)が有名で、万葉集を象徴する植物としても広く知られているものです。そこで私どもは、「紫草(むらさき)」の保存活動を通じ、仙覚の万葉集における業績とともに、小川町の自然環境の豊かさをPRしていこうと考えました。紫草が育つためには特に清涼な気候と環境が必要であるとされ、豊かな自然を有するここ小川町は、保存活動に適していると考えたのです。また、紫根による伝統的染色法はわが国の至宝であり、その技術を小川の伝統工芸である和紙や絹に活用する試みもはじめました。紫草の保存活動は、これら郷土の持つ歴史、伝統、環境等の各要素にうまくフィットするもので、紫草という日本の伝統を象徴する植物をテーマに、住民が誇りを持って郷土文化のために取組むということは意義深いことであると考えています。

※1 絶滅危惧種TB:環境省が作成するレッドデーターブックによれば、平均減少率70%、20年後の絶滅確率30%とされている。埼玉県では、昭和37年(1962)に自生が確認されたものが最後で、平成になって野生絶滅の扱いになった。(右上画像:平成15年=仙覚生誕800年に小川町で開花したもの)
※2 仙覚は、鎌倉以前に散存していた万葉諸写本を校合して万葉集の底本を作成、特殊な音声学を駆使するなどして、『萬葉集註釈』を完成させた。仙覚は、この業績を現在の小川町において遂行、万葉の全体像を今日に伝えた最大の功労者とされる。(右画像『仙覚律師遺跡』:埼玉県比企郡小川町大塚陣屋台:歌人佐佐木信綱らにより昭和3年建立)

万葉歌に詠み込まれた麗しの植物「紫草(むらさき)」
 
万葉集は、千数百年もの前の我が国の黎明期における国の有り様や人々の生活を現在に伝える最古の歌集で、『古事記』『日本書紀』と並ぶ貴重な文化遺産です。豊かな自然を愛でた歌が多いことも特徴で、約四千五百歌中の実に3分の1に植物名が詠み込まれています。その万葉集の中でも特に親しまれ、学校教科書に最も多く取り上げられているのが、次の額田王と大海人皇子の歌なのですが、この歌中に紫草が詠み込まれているのです。

あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る(額田王 巻1-20
紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも(大海人皇子 巻1-21)

 歌は、額田王が、天智天皇のご料地(近江の蒲生野)での薬狩りの折り、かつての恋人大海人皇子(天武天皇)にあてて詠んだもので、大海人が返した歌にも紫草(むらさき)が詠まれています。この植物が愛の相聞のモチーフになっており、共に万葉集を象徴する歌として広く親しまれているものです。
 他の文学作品においても、紫草の扱いは格別で、特に源氏物語に登場する最上の女性達には「紫」が名付けられ、作者も「紫」式部と呼ばれました。その後の古今和歌集、枕草子などの古典から、近現代の宮沢賢治の童話に至るまで、紫草の名は様々な形で取り上げられています。中でも、山田耕作作詞で知られる旧東京市歌は、『むらさきにおいし武蔵の野辺に日本の文化の花咲き乱れ・・・』という表現で始まっており、紫草に対する扱いは、最近まで我が国の普遍的認識であったいうことが伺えます。なお、いわゆる名門校、伝統校といわれる学校の校章や校歌に紫草が採用されてきたのも、歴史伝統に裏付けられた学問のイメージから愛着をもって受け入れられてきたということの証でしょう。

古代より高貴な色の染料として
 
合成染料が開発される以前、天然に得られる「紫色」は、その希少性ゆえに、洋の東西を問わず高貴な色として大切にされてきました。染料としての紫草は、『風土記』等の資料に記され、各地遺跡でも繊維染色の痕跡が出土していることから相当な歴史を有することがわかります。特に、聖徳太子の制定した冠位十二階の最上位は深紫(こきむらさき)であり、その後の平安藤原氏の色でもありました。戦国武将の豊臣秀吉等もこの色の服に異常な関心を寄せ、その傾向は徳川将軍にも引き継がれ、「江戸紫」として一大文化を形成するに至ります。古代エジプトやローマ(※3)、中国においても、紫色そのものが皇帝以外の者が身につけてはならない禁色とされた時期があり、政治権力や文化を象徴する色として、色の王道を歩んできたのです。

※3 地中海を中心とした古代文明においては、ある種の貝から得られる成分による「貝紫」であり、植物色素とは別物です。

絹の濃紫(こきむらさき)染め 武蔵絹の絞り染め

羊毛も染まる 切り花と紫染めの組み合わせ

 平安期の『延喜式』には、武蔵国からも紫根(しこん:紫草の根)を朝廷に運ばせたとあり、江戸末期まで関東各地でも栽培が継承されてきたようです。しかし、合成染料の登場により栽培されなくなり、近年の環境の変化からか野生種も激減、悠久かつ華麗なる歴史を有する紫草の絶滅が危惧される状況になっています。

紫草の根は特別な薬効成分をも含む!
 紫草(ムラサキ=Lithospermum erythrorhizon Sieb. et Zcc.)の根の部分(紫根)に含まれるシコニン(※4)という色素は、金属イオンとの結合により呈色、水に不溶で繊維に固着しやすくなる性質が染色に利用されます。ところが、この色素にはさらに興味深い作用があり、漢方薬(※5)として、外傷、腫瘍、火傷、湿疹等にも処方されてきました。薬効については、染色ほどには関心が注がれてこなかったものの、古来より紫で染色された布は肺病を遠ざけると信じられ、高貴な御方々の間では、今でも体調を崩されると紫染めの物を身につける習慣がおありになるらしい。実は、最近になって何と色素のシコニンに本当に細菌感染を抑制する作用があることが確認され、免疫を高める効果(抗HIV活性など)についての研究も注目されています。

※4 シコニン(Shikonin):色素シコニンの名は、紫根(しこん)の音をとったものですが、これは我が国初の女性理学博士である黒田チカ先生(お茶の水大教授)が大正7年に成分構造の解明に成功し、命名されたものです。
※5 世界に誇る江戸時代の外科医「華岡清洲」が処方した紫雲膏が有名。

紫色の根から有効成分が採れる 名とは対称に白く可憐な花
注意!西洋種が出回っています!
 最近、紫草(むらさき)への関心の高まりもあって、一部業者やマニアの間で販売、譲渡が行われているようです。ところが、やりとりされている株や種のほとんどが西洋ムラサキで、国産種とは違うものです。近似種のため、花が咲くと花粉が飛び、純系種が次々と雑種化してしまうのです。この植物の栽培には細心の注意が必要ですので、深刻な事態に至る前に、一人でも多くの人に正しい認識を持って頂くほかありません。関連の情報がありましたならご連絡下さい。 → 詳細記事:紫草の栽培
栽培協力に当たっての遵守事項 紫草(むらさき)データベースへ
万葉の花「紫草(むらさき)」 
 youtube動画:紫草(むらさき)の動画 NPO法人「仙覚万葉の会」

万葉の花とみどり
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