万葉の花とみどり
<サイト投稿者『育良』さんの記事>
 大伴家持はこの年、愛する女性を亡くしています。その女性が「この花が咲いたならば私を思い出して下さい。」と言って手ずから植えた花がこの撫子であったというわけです。しかも、この花が咲く頃には 自分はもう生きてはいないであろうこともこの女性は知っていました。「見つつ偲へ」と言って植えられた花・・・その撫子が可憐な花を咲かせたとき、家持は一体どのような心持ちでその花を眺めたことでしょう。私も17年ほど前、大切な人を病で亡くしました。笑顔の美しい 優しい人でした。かねてより覚悟はしていましたが、もう2度と逢えないということがこれほどまでに人を打ちのめすものかと思いました。逝った人は帰らない。けれどその人の遺した花だけは 今もこうして咲き続けている。人間とは不思議なものです。その人にはもう2度と逢えないと分かってはいても 
 その人とゆかりのある花が咲く頃になるともしかしたらその人に逢えるのではないか、あの懐かしい声を聴くことが出来るのではないかなどと心のどこかで思ってしまうのです。やがてその花は咲き その花の前に佇むけれど愛しい人に逢えるはずもなく ましてやその声を耳にすることもありません。人を想う心に 昔も今もそう変わりはないのではないかと思うのです。この歌を口ずさむとき、撫子の花を見つめる家持の眼差しまでも目に浮かんでくるようです。