万葉の花とみどり
さくら  桜 佐久良   ヤマザクラ


あしひきの山桜戸を開けおきて
    あが待つ君を誰かとどむる
             作者不詳 巻十一 2617

『読み』あしひきのやまさくらどをあけおきて あがまつきみをたれかとどむる
『歌意』待てど暮らせどなかなかおいでにならない。こうして山桜の戸を開け放っているのに…。一体誰があの方を引き留めているのでしょう。


桜花の背景はやはり青空に限る


花と言えば桜
 歌の山桜戸は、文字通りの単なる板戸というより、桜の咲き満ちている庭先全体と捉えることができます。窓から待ち人がやって来るのを、それこそ首を長くして待っている…。眺める先から我が家に通じる道の両側に桜の花が垂れかかり、華麗な花の扉となって大切な人を…という情景が浮かびます。
 私たち日本人は、桜と言えば新学期、年度の始まりは桜の開花時期、ことの始まりの新鮮な気持ちを桜花と重ねる習慣が、学齢期から脳裏に刷りこまれているようです。義務教育において初めて習う歌は「さくらさくら」、合格祈願成就ならサクラサク、そうでなければサクラチル。滝廉太郎作「春のうらら〜の隅田川〜」を口づさむとき、誰もが無意識に春、花から「桜」をイメージしていることでしょう。国学者の本居宣長は、「敷島の大和心をひと問はば朝日ににほふ山桜」と詠み、桜を日本の文化や人の気質を象徴する花としています。学制導入のはるか昔から、花と言えば桜、桜といえば日本の心をいう図式が成立していたのでしょう。

花期でなくとも樹皮の特徴からすぐに桜であると判別できる

見事な散り際

 桜の開花期間が短く、散り方の壮麗であることに、我々はどうも魂が揺さぶられてしまうようです。この潔く散る花は、滅私奉公を是とする武家社会で好感を持って受け入れられ、先の大戦で「同期の桜、咲いた花なら散るのは覚悟」の通りとなるまで、日本人独特のメンタリティーの象徴でした。しかし、見事な散り方を世の無情と結びつける考え方は、万葉時代には見られず、もっぱら男女の恋愛関係を意味していたようです。次の久米郎女の歌「世の中も常にしあらねばやどにある 桜の花の散れる頃かも」(巻八 1459)では、この世は定めなく変化していくものであるので、桜の花も散ってしまった頃です、の意味となり無常観というより心変わりに重点が置かれていることがわかります。
 さて、「花の命は短くて」咲いたと思ったその瞬間にもう散り始める…。弥生から卯月にかけての行楽期、天気予報で気になるのは桜前線の北上具合。満開のピークが週末でしかも天気に恵まれているなら儲けものともいわれます。運良く桜の散り始めに遭遇、吹雪が如く舞う花びらの中に身を置くことができればもうそこは別世界。サクラの語源が「群がって咲くら」「麗しく咲くので咲麗」「咲くらん」らしいことが実感されるわけです。


七分咲き:開花が進むと白く輝いて見えるようになる


多様な品種
 サクラはバラ科、日本各地に広く自生する落葉高木。万葉集の多くにサクラとして詠み込まれているものは、山に咲く野生のヤマザクラを指していると思われます。若芽が薄い茶色なので、咲き終わった後でもさほど醜さを感じません。植栽されている桜の代表と言えば、東京都花でも知られるソメイヨシノ。植栽数トップを誇るポピュラー種ですが、これは江戸末期の植木屋が「吉野桜」の名で売り出したもの。花も大きく、接木で簡単に増やせるのですぐに全国に広がっていきました。その他、しだれ性のイトザクラ、伊豆地方の自生種オオシマザクラなど、現在百種を超える品種があります。実は食用に、材は建材にもなり、特にオオシマザクラの葉は、クマリン(フジバカマにも含まれる)という香りの成分を含み、桜餅を包むのに使わることでも知られています。


花期の長いしだれ桜   種類は百を超える

管理者『妬持』の声:画像は4月初旬近所の公園で収録したもの。品種が百種を超えるといいますが、見た目でどの程度判別できるものでしょうか。花の大きさや樹皮、咲く時期などが微妙に違うらしいのですがね。私には、普通の桜、しだれ桜、八重桜、その他の桜、とこんな程度です。品種はともかく、桜と言えばやはり散り際の桜吹雪。花は観賞するもので散り際の桜は醜いなどと、どなたがおっしゃたのでしょうね。桜の花見の神髄は、北町奉行遠山よろしく「桜吹雪体験」をするところにあるのです、あれは。それに、花びらが散ったあとにすぐ出てくる若芽の緑は決して醜いものではないと思います。そう言えば、「花びらが散ったあとの〜桜が〜」なんてフレーズもありました。


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