万葉の花とみどり
やまぶき   山振  ヤマブキ
山吹の立ちよそひたる山清水 汲みに行かめど道の知らなく
高市皇子 巻二 158 
『読み』やまぶきのたちそよひたるやましみず くみにいかめどみちのしらなく
『歌意』山吹が美しく並んで咲いている山の清水を汲みに行きたいのだが、私にはその道がわからないことだ。
 
運命に翻弄される男女
 
歌の作者高市皇子は天武天皇の子で、壬申の乱で大海人(天武)を支え、戦いを勝利に導いた英雄、心を寄せていた十市皇女が若くして亡くなったのを嘆き悲しんでの歌。歌中の山吹の「黄」と、清水の「泉」は「黄泉の国」を指すものであり、黄泉の国までも皇女を訪ねていきたいという心情を歌ったものであるとされる。十市皇女は、天武天皇と額田王の子で、幼い頃からやはり天武の子(別母)であった高市皇子とは親交があり、次第に心引かれる間柄になっていたが、意に反して天智の子、大友皇子の妃にさせられてしまう。間もなく天智が崩御すると、大友皇子(弘文天皇?)と大海人皇子との皇位を巡る争いは、日本古代史上特筆すべき争乱「壬申の乱」へと拡大していき、高市皇子は、いち早く吉野を脱出した大海人と合流し、将軍として十市皇女の夫である大友率いる近江朝を討ち果たす。戦に勝利した父天武が即位後、皇女が天武七年に急死(自殺?)するまで、皇女と高市の動向は不明だが、二人の関係が通り一遍のものでなかったことは、他の万葉歌二首(「三諸の神の・・・」「三輪山の山・・・」)からも明らか。
 冒頭歌では、美しい山吹が清水の傍らで咲き、風に立ちそよぐ様子が歌われているが、その背景には大いなる歴史の潮流に翻弄された男女の運命が悲痛なまでも書き刻まれている。万葉歌は、単に趣きがあるとか奥深いとか、簡単な言葉では言い切れないところが魅力であるのだが、この高市皇子の歌からはまさにそう言った面を感じ取ることができる。

しなやかな枝が風に振れる
 山吹は、バラ科ヤマブキ属、日本各地に群生する中国原産の植物で、半日陰を好み、湿気の多い山地に自生する。歌に詠まれているように水辺を好むため、渓流沿いに多く見ることができる。花言葉は、「気品が高い」で、春にはギザギザ葉のついたしだれ枝先に黄金色(山吹色)の花をたくさんつける。「山振・山吹」の字は、しなやかな枝が風にゆれる様子から「振」の字が、花の色が蕗(ふき)に似た金色で美しいことから「吹」の字があてられたとも言われている。
 ヤマブキは万葉集に十数首、源氏物語には二十カ所以上に登場していることから、古くから好まれた花であることが伺える。現在、ヤエヤマブキの他に、園芸品種として白い花をつけるシロバナヤマブキが知られるが、かつてはもう少し多くの種があったようだ。江戸末期の1839年、富山藩主前田利保が著した『棣棠図説』(棣棠:ヤマブキの漢名)には、品種十種が彩色付きで図説されているそうだ。ご当主様の道楽にしてはなかなかのもので、大いに興味をそそられた。
八重咲きと一重咲き:いけばなの世界では八重咲きよりも一重のものが気品があるとされているが、種類の違う花といっても良いかもしれない。
元祖やまぶき色
 
黄色と一口に言っても、事物の持つ固有の黄色というのは、レモン色のような明るい透明感のある印象を与えるものから、ややオレンジに近い深みのあるものまで、色調に微妙な違いがある。絵の具には黄色の他に「やまぶき色」というのがあったが、これは深みのある黄色の方にヤマブキの名を与えたものでまさに当意だ。
 ヤマブキが咲くのは春の緑のまだ浅い時期。春風そよぐ中、枝ごとにたくさんの花をつけ、しだれるように咲き乱れる。生け花はもちろんのこと、庭植の絶好の種であり、塀や生け垣の合間の高いところから下垂させたり、岩の間から誘導すると岩の灰に濃い黄色が映えてとても良い感じを出すことができる。

実のならないヤエヤマブキ
 ヤマブキには、大きめの花弁5枚の一重のもので秋に結実する種と、花弁が八重で実を付けない種がある。実を付けるものとそうでない種があることが次の歌に詠まれている。
七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞあやしき
『後拾遺和歌集』(兼明親王)
 結実しないヤエヤマブキが詠まれているこの歌は、江戸城(原)を築いた太田道灌の「常山紀談」にあるエピソードとともに知られている。室町時代、川越領主の太田道灌が里(現在の埼玉県越生町あたり)にいる父を訪ねた折の話。鷹狩りに出た道灌が、ひどい雨に降られてしまい、簑でも借りられまいかと、近くの農家に立ち寄ったが、農家は貧しく、簑ひとつすらなさそうなあり様だった。すると一人の少女が出てきて黙って「山吹の花」を差し出した。太田道灌は、不思議がってその花を城に持ち帰り、その話を家臣にしたところ、少女の意が、山吹の花にちなんだ古歌「七重八重 花は咲けども 山吹の実(簑)のひとつだに なきぞ悲しき」にあったことを教えられる。道灌は、少女の機知にいたく感心するとともに、自分の教養の無さを恥じ、その後大いに学問に励み、文武両道を備えた名君といわれるようになったという。いつしか人は、その里を「山吹の里」とよぶようになったそうな…。
越生町「山吹の里」 晩秋に咲く時期はずれの花
<やまぶきを詠んだ歌>
山吹の咲きたる野辺のつぼすみれ この春の雨に盛りなりけり
高田女王 巻八 1444
蝦鳴く神奈備川に影見えて 今か咲くらむ山吹の花
厚見王 巻八 1435 
『読み』かわずなくかんなびがわにかげみえて いまかさくらんやまぶきのはな
『歌意』かじか(蝦:かはづ)の鳴く季節になったが、神名火川(かむなび)の岸に山吹のその姿が映って、美しく咲き乱れていることだろうなあ。
花咲きて実は成らねとも長き日に 思ほゆるかも山吹の花
作者不詳 巻十 1860 
管理者『妬持』の声
 やまぶきのさとの逸話はなかなかよくできた話でいろいろな場面、訓辞とかで引用されることが多いようです。しかし、殿様が卒然立ち寄ってきたので、いきなり「山吹の花」を差し出しますかね。この殿様、自分の教養をの無さを恥じたとして人格の高潔さ、潔さをPRしたかったんじゃないですかね?それにしても生育力旺盛な種にて、庭での管理は注意が必要です。
「参 考」万葉植物辞典(山田卓三 中嶋信太郎・北隆館)

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